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サッカーのマッチレポートなどを中心に。その他サッカーのうんちく系ブログ。

2005年のオフサイドルールの改正とモダンサッカー

というわけで、今日は割と元気なんで、ブログを更新致します。内容は、昨日いったモダンサッカーの話です。


なんですが、この話をする際にどこから始めるかは、ちょっと迷ったんですけど、やはり現代のサッカーと、それ以前を区別する際にキーになるのはプレッシングになります。プレッシング、つまり、スペースの減少は、モダンフットボールの特徴です。ただし、サッカーだけでなく、他の物事でも同じように、プレッシング自体が普及し始めた時期には、各国で差があります。最初にプレッシングをサッカーに取り入れた人物は、おそらく、ディナモ・キエフを率いたヴィクトル・マスロフであり、彼がモダンサッカーの創始者とも言えるわけです。(多分ね。僕が知ってる限り、最初にプレッシングを始めたのはマスロフ)


その後、ミケルスのアヤックス、サッキのミランといったプレッシングを取り入れて大成功を収めたチームが続き、ドイツみたいなマンマークの帝国も90年代にはいって、その膝を折り、プレッシングが導入されはじめます。



ここで、ジョナサン・ウィルソンの「サッカー戦術の歴史」のP285から、ちょいと、マリーニョ・ペレスの言葉を引用します。当時、マリーニョは、1974年にミケルスのバルサに移籍して、ミケルスのサッカーに適応するのに四苦八苦していました。

「私がバルセロナに加入すると、ミケルスはセンターバックが押し上げてオフサイドラインを作ることを要求した。ブラジルではそういうものはドンキー(間抜け)ラインと呼ばれていた。馬鹿げていると思われていたからだ。理屈としては、相手がディフェンダーを一人抜けば、もう誰も残っていないことになる。」


「クライフが私に言ったのは、オランダ人は広いピッチではブラジル人やアルゼンチン人のように非常に高いスキルの相手とは勝負できないということだった。」


「オランダの選手達は、スペースを減らして全員を狭い帯の中に閉じ込めたいと考えた。オフサイド・トラップの理屈は試合を狭い所に押し込む所から生まれている。これは私にとって目新しい考え方だった。ブラジルでは、チップキックでボールをラインの向こう側に出して誰かが抜け出せばオフサイド・トラップを敗れると思われているが、実際には時間がないのでそういうわけにはいかない。」


「ある日の練習中に、私がラインを押し上げたら四人か五人がオフサイドになった。うれしかったよ。私にとっては目新しいことで、難しいとおもっていたからね。だが、ミケルスが私に怒鳴りつけてきた。彼が次に我々に求めたのは、相手にはオフサイドポジションでゲームに加われない選手がいるのだから、ボールを持っている敵の選手を味方の余っている選手がチャージすることだった。こうすることでオフサイドは攻撃の手段になる。こういう形でボールを奪った時、ももチャンスを作る事が出来なければ、ディフェンス陣は後ろに下がってピッチを広くする。すべてはスペース次第なんだ。」


というのがあります。


プレッシングの導入による時間とスペースの減少は、モダンサッカーの特徴であり、と、同時に、マンマーク時代の花形であった偉大な10番の時代の終焉でもありました。

現在のメッシと、1986年のワールドカップ・メキシコ大会を制する立役者となったディエゴ・マラドーナとを比較したがるアルゼンチンの人々は少なくない。そういう人たちは80年代のセリエAで、マラドーナのナポリがアッリーゴ・サッキ率いるミランに0−5で敗れた試合を思い出すべきである。この試合後、マラドーナは「全くボールに触れなかった。これほど理不尽さを感じた試合は初めてだ」と語っていた。


■メッシには80年代のマラドーナと同じことが起こっている

サッキがマラドーナ対策として、プレッシングを生み出したのは、割と有名な話で、wikipediaのアリゴ・サッキの項目から引用しますが、

雑誌Numberの取材で、必要に迫られて作った戦術だと発言している。

強いチームを作り上げるべく、サッキがベルルスコーニに依頼したことは、選手として最盛期を迎えていたディエゴ・マラドーナの獲得だった。だが、ナポリが手放すわけもなく獲得は叶わず、それならば彼を抑え込む戦術が必要だと作り上げた戦術。


【初期】
まず所々の局面でドリブルで抜かれないよう距離を保って取り囲むという戦術だったが、マラドーナはピッチを縦横に広く使う展開力に優れたものを持っていたので、抜かれないよう遠巻きに取り囲むという戦術はすぐに修正される。


【中期】
パスを出せないよう前回より速く近距離で取り囲むという戦術になったが、素早い判断力を持ち合わせていたマラドーナはワンタッチで味方と上手く連携し、プレスを仕掛ける選手を器用に操り数的優位を作り出すゲームメイクをしてしまう。


【完成】
それに対して行った最終的な修正が、マラドーナを試合中にボールに触らせないよう第1のボールホルダーから全体にかけてプレスをかけ、小さなエリアを作るというものだった。これを徹底して詰めることで、全体的に前掛かりになった状態から横パスを意図的に狙い、高い位置でのショートカウンターを発生させることが可能となる。


アリゴ・サッキ


こうしたプレッシングの戦術は、多くの監督によって改良が施され、洗練されていきました。結果として、プレッシングは、現在では、ほぼ、全てのチームで活用されるスタンダートな戦術となっています。


が、その副作用として、まず消えていったのがマラドーナに代表されるようなファンタジスタ。偉大な10番の選手達は、サッキの442が広まるにつれて、居場所を失っていきました。バッジョがアリゴ・サッキから冷遇されていたのは多くの人の記憶に未だ残っていると思いますが、バッジョの辞書にプレッシングなんて言葉はありませんでした。


プレッシングの発達と共に、サッカーはよりフィジカルよりになっていきます。かつて、中盤を支配したテクニシャン達は、徐々に消え去っていき、代わりに、より強靱でボール奪取能力の高い選手の重要性が高まる事になりました。これが、1980年代から2000年あたりまでの流れです。


2005年のオフサイドルールの改定


しかし、こういった流れを止める事になった、大きな出来事が近年ありました。それが2005年のオフサイドルールの改定です。


この事について、先にも取り上げたジョナサン・ウィルソンが記事を書いてます。


The Question: Why is the modern offside law a work of genius?


英語ですが、こちらの記事。日本語訳は、「2005年のオフサイドルールの変更がもたらす意味について」にまとめられています。

しかしもっとも根源的な変更が起こったのは2005年であり、このルール変更によって、最初にオフサイドが制定されてから142年後、ついにオフサイドは正しく解釈されるようになったようだ。まず、ボールを触っても問題のない身体部位が最後尾から2番目のディフェンダーを越えていれば、その選手はオフサイドであると明確に規定された。これは現実的には確認不可能だ。たとえば上腕とか胴体とかがディフェンダーの後ろから見えた、などという判断を線審が一瞬でできるはずがない。そうではなくて、この変更によって、疑いようのないくらいはるかに攻撃側に有利なものになったということが重要なのだ。


さらに重要なのは、関与という言葉の説明だ。「プレーへの関与とは、チームメイトがパス・ないし接触したボールをプレーないし接触することである。」その後修正が行われ、「オフサイドの位置にいる選手は、他のオンサイドの位置にいるチームメイトがボールをプレーする機会を持たない場合、主審の判断により、ボールをプレーまたは接触する前にオフサイドと見なされる」とはっきりと規定された。


「対戦相手がプレーに参加し、身体の接触の可能性があると主審が判断する場合、オフサイドの位置にいる選手は相手に関与したとしてオフサイドとされる。」


だからオフサイドとなるためには、選手はボールに触れるか、対戦相手と身体的接触の可能性がある位置にいる必要がある。

決定的なのは、相手フォワードをオフサイドポジションにすることができると考えてディフェンダーが一歩前に上がったとしても、そのフォワードを反則とするにはもはや不十分になってしまったということだ。オフサイドの位置にいるチームメイトから離れたところでボールをキープしようとするようなかしこい相手に対しては、オフサイドトラップが有効ではなくなってしまったということを意味しているのだ。


このことは数字がよく物語っている。オプタ社のスタッツによればプレミアリーグの97−98シーズンでは1ゲームあたり7.8のオフサイドがあったが、05−06シーズンでは6.3と急激に減少した。この新規則が施行されて以来オフサイドは減少し続け、今シーズンでは4.8にとどまっている。


ちょっと引用の引用になりますが、自分で翻訳するのはめんどいので、このままで。2005年のオフサイドルールの改正は、圧倒的に攻撃側に有利なものとなりました。「オフサイドの位置にいるチームメイトから離れたところでボールをキープしようとするようなかしこい相手に対しては、オフサイドトラップが有効ではなくなってしまった」からです。


この結果として、ルール改正以降、守備戦術に変化が起こりました。この部分は、アンチェロッティが、著書「アンチェロッティの戦術ノート」で述べているので、それをまんま引用します。

ゾーンディフェンスを採用するすべてのDFラインに共通する基本的な振る舞いは、敵のボールホルダーに味方のプレッシャーがかかっており前方にパスが出せない時(ボールが「クローズ」な時)にはラインを高く保って陣形をコンパクトに保ち、中盤との間隔を狭める、プレッシャーがかかっていない時(ボールが「オープン」な時)には、敵FWの「裏」を狙い動きを先取りしてリトリート(後退)し、最も危険な裏のスペースへのパスを消す、というもの。したがって、状況に合わせて常にラインを上下動させ、的確な高さにコントロールするという事が重要になる。これは言い換えれば、相手の次のプレーを読みそれに先んじて動くということだ。


オフサイドの解釈が変更になり、プレーに直接関わっていない限りオフサイドポジションにいてもオフサイドを取られないルールになってからは、常に最終ラインを高く保つことが非常に困難になった。すでに見たとおり、FWの飛び出しをおとしにした後タイミングをずらして2列目からMFが走り込み、そこにスルーパスを合わせるとなど、このルールを利用した組織的な攻撃が広まって、オフサイドトラップを外されることが多くなっているからだ。したがって現在では、ボールが「オープン」になるとDFラインは安全第一でリトリートし、まず裏のスペースを消すという守り方が完全に主流になっている


ちょっと、このオフサイドルールの改正を利用した攻撃の例を日本のU22の奴で紹介しますが、






こういうモノです。まず、U22のゲームメーカー、扇原がボールをもちます。ここで、ボールは「オープン」な状況で、裏へのパスが出せる状況です。そこで、鹿島の大迫が裏へのパスを要求します。二枚目ですね。裏を指さしてます。それをみたシリアのDFは、安全第一でリトリートします。しかし、大迫の狙いは、裏へのパスでなく、ここでは、相手のDFラインを下げる事でした。大迫は、裏へと抜け出すのではなく、下がってボールを受けます。シリアのDFはリトリートしてしまったので、大迫にここでフリーでボールを持たれることになりました。そして、大迫が前を向くと、2列目のアタッカーが待ってましたといわんばかりに、裏へとスプリントします。ボールはなりませんでしたが、いい攻撃でした。


モダンサッカーとメタの変遷

で、ここからが、今回の記事の主なネタになるんですが、2005年のオフサイドルールの改正以降、ラインを高く保つのが難しくなったのは、ここまでで分かっていただけたかと思います。


この改正自体は、W杯などで、どんどん、一試合あたりの平均得点数が減り、サッカーからスペクタクルな要素が減ってしまった事に対する反動みたいなもんがあり、これ以降、もっと点が入るようになると期待されたんですが、そうもいきませんでした。


なぜなら、ボールが「オープン」になったら、まずリトリートって守備戦術が主流になっちまったからです。


結果として、前からプレスにいくのでなく、低い位置で陣形を整えてから、プレスを開始するチームが主流になりました(PA手前の5〜15メートルくらいが最終ライン)。これはローラインプレッシングと呼ばれます。ちなみに、どんな相手だろうと、敵陣の高い位置からプレスを開始するチームは、欧州でもバルセロナドルトムントくらいで、他のチームは相手に応じて、時間帯を決めてやるのが普通です。こっちはハイラインプレッシングと呼ばれます。


結果として、ですが、このオフサイドルールの変更によって、すぐに国際試合での得点数が伸び始めるってことはありませんでした。単にハイラインプレスをやるチームが減って、ローラインプレスが主流になっただけなんですね


ただ、時間がたつにつれて、影響が出始めました。


まず、ボールがオープンになったら、まずリトリートってのが主流になった事から、ボールがオープンになった場合すぐに裏に出すのでなく、相手のラインを一端下げ、MFとDFの間を広げて、そこでボールを受けて、裏へ走り込む2列目にパスを出す戦術が編み出されはじめました。FWの裏を狙う動きからのポストプレーが代表例ですが、他にも多数、似たような戦術が生み出され始めます。


こういった攻撃戦術は、「相手の最終ラインがボールが「オープン」になったらまず下がる」という守備戦術の逆手を取ったやり方です。だって、後方でボールが「オープン」な状況を作れば、相手の陣形は間延びし、味方の中盤には攻略すべきスペースが無数にできることになる訳だから。


その結果としてですが、サッキの時代には、25〜30メートルにまで圧縮されていたプレーエリアは広がる一方で、今では4〜50メートルにまで広がっています。陣形をコンパクトに保つことが難しくなったんです。その恩恵を受けたのが、バルセロナとスペインのようなチームで、小さいが技術のあるMFを多数揃えたチームでした。


後方の選手、つまり、中盤の底にゲームメーカーが配置されるようになり、CBやGKの足下が重要になったのは、まさにここにも原因があるんですけど、ここでは、ボールが「オープン」になりやすいんですね。そして、一端、中盤の底のゲームメーカーや、「繋げる」CBの所でボールがオープンな状況を作れば、相手の最終ラインが下がるか、相手の守備ブロックの中からDFが出てこざるをえない為、味方の中盤の為のスペースを作ることが出来る。


こうした攻撃戦術の変化に合わせて、守備戦術にも変化が起きました。まず、ボランチの前のスペースのケアの為、トップ下やセカンドトップの守備が必要不可欠になりました。同時に、繋げるCBや中盤の底のゲームメーカーを潰すため、CFが守備に駆り出されるのも、珍しくなくなりました。


つまり、2005年以降、9枚以上での守備がより必要な時代に突入したんです。と、同時に、引いて守るチームが増え、中盤にスペースが広がった事から、再び、小柄なテクニシャンが活躍できる下地が出来ました。


そして、昨日の記事の話にもなるんですけど、そういった自陣で人数かけて守るチームが増えた事から、引いて人数かけて守るチームへの対策として、ゾーンの隙間を攻略する事が重要になりました。ボランチの間であったり、SBとCBの間であったりです。結果として起こったのが、セスク、メッシ、イニエスタ、エジル、ミューラー、香川、ゲッツェのようなアタッカーの台頭です。彼らはピッチの幅使いつつ、ゾーンの隙間に入り込んで相手を攻略する能力に長けています。


ジョナサン・ウィルソンの言葉を借りれば、

オフサイドトラップをやめさせれば深く守ることになり、中央の有効なプレーエリアは広がることになる(だから3バンドのフォーメーションから4バンドのフォーメーション表記に変化していったのだ)。この結果選手の身体的な大きさという問題は小さくなり、技術が再び重要になりつつある。チャンピオンズリーグでのバルセロナの優勝とユーロ2008でのスペインの成功はどちらも小さいが技術のあるミッドフィールダーによってもたらされた。でも彼らは二三十年前には絶滅したと思われていた人種だったのだ。

現代のオフサイドルールは十分な評価がなされないままだけれど、かつてない美しいフットボールを生み出す素地を生み出したのは、このルール制定なのだ。


こういう事です。ちょっと付け加えると、2005年のオフサイドルールの改正以降に起こったのは、守備ではローラインプレッシングが完全に主流になったこと、攻撃面ではボールを繋げる最終ライン、中盤の底に配置されたゲームメーカー、ゾーンの隙間で受ける能力の高いアタッカーの台頭です。


ただし、思わぬ副作用もありました。何度も書いてきましたが、よりいっそう、FWの守備参加が必要とされる時代に突入したんです。守備時には、陣形をコンパクトに保つ為、また、引いて守るのであれば、相手のゲームメーカーや繋げるCBをゲームから追い出す為、より一層の守備時の献身性が求められる時代になっています。


そのため、FWの献身性は重要な要素となっており、それが出来ないようだと、去年のクラシコじゃないですけど、エジルのような傑出した能力の持ち主であってもスタメンから外されるなんて事が起こるようにもなりました。


今の所、次に何が起こるかを予測するとなると、「ゾーンの隙間で受けるのに長けたアタッカー達を如何にして封じ込めるか」って話になります。彼らはローラインプレッシングの破壊者であり、現状だと、彼らを抑えきれなくなってきている。ようするにバルサ対策なわけですけど、前からいってボール運びを完全に破壊するか、あるいはマンツーマンの復活かとか、身も蓋もない10人守備の人海戦術とか、色々と思う所はありますが、それが次の時代を形作るんじゃないかと。


今日はそんな所で。