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サッカーのマッチレポートなどを中心に。その他サッカーのうんちく系ブログ。

これから湘南ベルマーレの話をしよう(ベルマーレ開幕4連勝記念)


全ての物語は「むかしむかし」で始まるように、このお話は、そんな遠くもない、けれども決して帰ってはこない「むかしむかし」から始めよう。


まだ、Jリーグが創設されて、それほど間もない時代。あの頃、ベルマーレは生きていた。いや、それどころではなかった。本物の強豪で、強かった。サポーターは、そんなチームを見ては一喜一憂し、プレーに酔いしれた。


この頃のベルマーレには、あの中田英寿がいた。彼については説明は不要だろう。そして、呂比須ワグナーホン・ミョンボ名良橋晃ベッチーニョといった素晴らしい選手たちも在籍していた。今となっては信じられないかもしれないけれど、1998年のWカップでは、中田、ホン・ミョンボ小島伸幸呂比須ワグナーの4人の代表選手を輩出した事だってあった。


だけれど、そんな時代は長くは続かなかった。まず、フランスW杯後、チーム最大のスターだった中田がセリエAに移籍してしまった。だが、それより、ずっと深刻だったのが、当時のベルマーレの親会社フジタがバブル崩壊の煽りを食らい、とうとう、クラブ経営から撤退してしまった事だった。


これは、当時の親会社に頼った経営をしていたベルマーレにとっての、終わりの始まりだった。中田、呂比須、ホンミョンボ、小島、それぞれが素晴らしい選手で、たくさんのファンがいた。けれども、そんなベルマーレの黄金時代は、あっさりと終わりを告げた。


バブル崩壊の煽りを受け、親会社のフジタが経営から撤退。ベルマーレには、クラブハウスも練習場も無くなった。それと同時に、主力選手は次々とクラブを去っていった。中田はペルージャに去り、呂比須も、ホンミョンボも小島も新天地を求めて去った。



「もう何もかも終わりだ」。そう誰かがつぶやいた。そして、そういった人たちは、二度と平塚スタジアムに戻ってこなかった。もともと、Jリーグ創設時にあった熱狂は、すでに冷めてきていた。Jリーグバブルの崩壊と、親会社の撤退は、ベルマーレというチームを徹底的に切り刻み、崩壊させ、そして降格へと押し流した。そして、降格したベルマーレの試合なんて、普通の人は、もう誰も興味を示さなかった。活気があったスタジアムには、もはや、かつての面影はなかった。一握りのサポーターたちは、それでも応援を続けたけれど、現実は最低だった。J2に降格し、最初のシーズンの順位は11チーム中8位。引きこもっては惨めに負ける試合を繰り返した。


まともな人なら、もう、こんなチームを捨てて、他のもっと楽しい事に切り替えていただろう。実際、サポーターの数は減る一方だった。J1時代には、ベルマーレの平均観客動員は、16000人を超えることだってあった。だが、J2降格以降は、4000人台にまで落ち込んだ。ただ、それでも、ベルマーレを見捨てなかった人たちが4000人いたのは救いだった。残ったサポーターは、「何かがある」と信じたかったし、再び、自分たちのチームが、もう一度、墓場から蘇って、J1に復帰することを願って待った。待った。ひたすら待った。


事態が好転したのは、2006年にアジエルがやってきたからだった。6年にも及ぶ暗黒時代に遂に希望の光が指したのだ。アジエルを中心としたチーム作りが進み、ベルマーレは再び、昇格争いに絡むようになる。そして、決定機になったのが、2009年だった。ベルマーレOBである反町康治が監督として戻ってきた事だ。反さんの下で、2009年、ベルマーレは開幕ダッシュに成功する。開幕5連勝を飾り、その後も昇格争いを戦い続けて、11年ぶりのJ1昇格を成し遂げた・・・・・・・・・・・と、そこまでは良かった。良かったんだ。



2010年のベルマーレは、サッカーを見てる人なら、記憶に新しいだろう。J1開幕前にけが人が続出し、大エースのアジエルも一年間離脱、その上、シーズン中に守備の要ジャーンまで怪我で離脱という生き地獄。その結果、もともと、戦力がJ1で最低レベルだったベルマーレは、もはや、J2ですら戦えないようなチーム状態に陥った。結果として、シーズン3勝、21試合連続未勝利というJ1に二つのワースト記録を残し、ベルマーレは、なす術もなく降格した。



状況はさらに悪かった。10年かけて、ベルマーレは、どうにかクラブを建て直してきた。相変わらず、クラブハウスはプレハブだし、練習場も人工芝だけれど、それでも、どうにか、J2で昇格争いに絡めるだけのチーム状態にまで回復させた・・・はずだった。


だが、迎えた2011年のJ2。胸スポンサーのラ・パルレ民事再生手続きというギャグみたいな状況となり、クラブの経営状況は悪化する一方だった。しかも、再び、開幕から怪我人が続出し、中位に低迷。シーズン終了後、反さんとアジエルベルマーレを去った。ベルマーレを支え続けた坂本紘司もすでに33歳・・・・ベルマーレは最悪の時期に世代交代を迎えることになった。クラブは経営難で補強など望めない。そして、チームのエースや大黒柱が高齢で離脱。


一般的にいって、こうなったら詰みである。普通は、ここでいわゆる「再建中」と呼ばれる状態になる。自陣に引きこもっては惨めに負け続けるか、やぶれかぶれの特攻をしかけて自滅する。そんなチーム状態になってもおかしくなかった。


2012年シーズン前、「ベルマーレは終わった」なんて書き込みをネットでそこかしこに見かけた。事実、ベルマーレは死んだようなもんだった。10年ぶりにベルマーレを昇格させてくれた名将はすでに去った。エースのアジエルも中国へと去った。チームを支え続けた坂本紘司もすでに33歳でフル稼働は望めない。GK西部洋平は川崎へ去った。ジャーンは現役から引退していた。胸スポンサーは相変わらず見つかっていなかった。チームは1億円の債務超過でクラブ解散の危機が訪れていた。練習場にも苦労する有様で、クラブハウスと事務所はプレハブのままだった。


「誰でもいい。スポンサーになって助けてくれ!」。一部のサポーターは叫んだ。懸命に叫んだ。でも返事は無かった。ベルマーレなんてチームに広告価値なんて無いっていう冷たい現実があるだけだった。残ったのは残骸だけだと、胸スポンサーがつかない現実が語っていた。そこにあったのは、かつてJSLリーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を誇った名門チーム、フジタ工業サッカー部を前身として生まれた平塚ベルマーレの夢の残骸だった。



「何もかも終わっちゃったんだ」あるサポーターが吐き捨てるように、そう言ってスタを後にした。彼は戻ってこなかった。10年前の話だ。あの時と、状況がひどく似ていた。あまりに似すぎていた。主力の流出、減っていくサポーター、スポンサーの撤退・・・何もかもがデジャブだった。無駄だったのか。10年間、J2で下積みを続けたけど、何もかも無駄だったのか。これが現実なのか。世界の仕組みは残酷で残忍だ。金のないクラブは、他のクラブの食い物にされるしかない。そんなチームを応援した所で何が起きるんだろう。何が変わるんだろう。何もかも時間の無駄じゃないか。結局、サッカーなんてマネーゲームの一形態に過ぎない。金のないクラブがJ1で戦おうなんて思うのがそもそもの間違いだったんだ。


そんな現実に気づいた人たちは、二度とスタには戻ってこなかったし、ベルマーレに期待するのもやめてしまった。2009年の開幕5連勝なんて事態がもう一度、起きるはずなんてないじゃないか。あんな奇跡はもう起きやしないんだよ。


ベルマーレは終わっちゃったんだよ」


そんな冷たい現実と向き合うのに嫌気が指した人たちからスタを去った。世界は不公平で不平等、ピッチ上で繰り広げられているのは、サッカーでなくマネーゲーム。こいつはゲームじゃなくて犯罪だ。そういって、みんな逃げ出して、そして戻ってこなかった。そんな10年前と、ひどくよく似ていた。とてもよく似ていた。


2011年、ベルマーレに二度目の死が訪れたように見えた。「湘南の暴れん坊」と呼ばれ、J1に旋風を巻き起こした平塚ベルマーレがJ2降格したのが10年前。ベルマーレの最初の死だった。そして、2011年、再び、ベルマーレは静かに息を引き取った。少なくとも、そう見えたし、2012年、ベルマーレをJ2の昇格候補に挙げる人は誰一人としていなかった。



2012年3月4日、Shonan BMWスタジアム平塚にて。


その日、2012年シーズン、ベルマーレは、ホームに京都サンガを迎えた。2012年、ベルマーレに期待している人なんて、誰もいなかった。順位予想でも、大概は中位から下位。実際、サポーターですら、昇格争いできるなんて思ってはいなかった。ただ、JFL降格なんて事にならなきゃいいな、なんて思っていた。クラブチーム存続が最優先。それがベルマーレの2012年だった。


一方で、京都サンガは、J1昇格の大本命だった。先日、10代でA代表にも呼ばれた怪童、久保裕也に、年代別代表の常連だった宮吉拓実を有し、得点力ではJ2屈指ではないかとされているチームだった。昨シーズンは、終盤戦で6連勝、天皇杯では準優勝しており、J2では折り紙付きの実力を誇る。大概の順位予想では、京都はJ1昇格の最有力候補だった。


クラブチーム存続をかけて戦うベルマーレと、J1昇格をかけて戦う京都サンガ。この事が、双方のチーム状態をよく表していたし、チームの戦力にも如実に表れていた。ベルマーレが京都に勝てるなんてありえない。それが開幕前の大方の予想だった。久保と宮吉にばかり注目が集まっていて、湘南の選手なんて誰も気にしてはいなかった。そして、実際、昨年度、ベルマーレは京都に対して三戦全敗だった。


ベルマーレは死んだはずだった。棺桶に入れられて墓石まで用意されていたようなものだった。


しかし、墓石に名前が刻まれることはなかった。


17:30、キックオフのホイッスルが鳴った時から、ピッチ上では奇妙な事が起こっていた。京都が442ボックスに対して、ベルマーレは3421。システム的にはがっちりかみあう組み合わせだ。


京都は明らかにベルマーレより格上のチームだった。だから、ベルマーレはJ2の格下チームらしく、引いて守ってカウンターという展開を狙うのが普通だし当然だと思われた。ところが、新監督のチョウ貴裁が取った戦術は、なんとハイプレスだった


京都のサッカーは、大木監督によるショートパス主体のそれである。サイドチェンジをそれほど使わない為、クローズとも呼ばれる。チョウ貴裁は、それに対して、ハイプレスとショートカウンターによる、攻守の切り替えの早いサッカーで対抗しようとした。驚いたことに、これが彼が作ったチームだった。(初戦以後も、基本的にベルマーレは高い位置からプレスを開始するトランジションサッカーを続けていくことになる。)


ピッチ上では奇妙な事が続いていた。ショートパスを主体としたサッカーに対して、ハイプレスで対抗しようというのは、何も間違った采配ではない。ただ、問題だたのは、トップ下にいる選手だった。奇妙な事が起きていた。何度もメンバー表を見返し、選手の登録を見直した。おかしい。なんでだ。


なんで、DF登録の選手がトップ下のポジションにいるんだ?




背番号15、岩上祐三。そもそも論としてだが、彼は、SBとして取った選手じゃなかったっけ?ベルマーレは、去年から、ボランチは永木とハン・グギョンのダブルボランチを基本としており、この部分に関していえば、J2でもトップクラスである。特にプロ二年目の永木は素晴らしいボランチで、湘南の希望の星と言える。


岩上は、大学卒のルーキーで、大学では、ボランチかSBだったはずだ。そして、ボランチはグギョンと永木が不動のスタメンなので、岩上にはチャンスがない。だから、登録がDFであることからもわかる通り、SBとして取ってきたはずだった。それなのに、なぜ、岩上がトップ下にいるんだ?全く意味がわからない・・・・


そして、奇妙な事は続く。


驚いたことに、この試合で、最初に主導権を握ったのはベルマーレだった。中盤でのボールの競り合いで優位に立てたからだ。だが、今年のベルマーレは玉際に強いだけ、攻守の切り替えが早いだけのチームというわけではなかった。永木、グギョン、岩上、菊池の中盤の四人はボールスキルが高く、しっかり繋いでいける。また、CBの遠藤もボールスキルが非常に高い為、結構繋ぐサッカーが出来ている。


だが、一番奇妙なのは、背番号15をつけた男だった。岩上祐三。DF登録のくせに、なぜかトップ下にいる。だが、プレーは見事だった。サイドへの展開、セットプレーでのキック、左足でのミドルシュート・・・・どれもルーキーとは思えないレベルの高さで意味がわからない。なんでこんなすごい選手がDF登録なんだ?そもそも、なんでベルマーレは、こんなすごい選手を取れたんだ?J1下位くらいなら、スタメンで通用しそうな選手じゃないか。運動量もあり、守備もやる。そして、左右両足で良いシュートが打てる。身長はないが、当たりも強い。セットプレーのキッカーとしても優秀で、さらに良いロングスローを持っている。


なんで、こんな良い選手が去年まで、関東大学リーグの二部でプレーしてたんだ!?この日、ピッチで最も輝いていたのは10代にしてA代表にも呼ばれた久保ではなかった。そして、年代別代表常連で、京都ユースでエリート街道を歩んできた宮吉でもなかった。去年まで、関東大学リーグの二部でプレーしていた、チビの右利きのDF登録の岩上だった。


ただ、先制したのは京都のほうだった。前半31分、倒れた岩上とセルフジャッジで足を止めてしまったベルマーレの選手達を置き去りにして、ボールを奪った京都は、MF中山へと繋ぎ、ゴールを決めてしまった。


サポーターは静まりかえった。これが現実なのか。ベルマーレはよくやった。京都相手に、勇敢に前に出て戦った。だが、ほんの一瞬の隙を突かれてやられてしまった。京都サンガは、これで圧倒的に楽になった。あとは、ベルマーレの息の根を止める追加点をカウンターで取れば、それでミッション終了だった。それは、あまりにイージーなミッションに思えた。


だが、そうはいかなかった。


その数分後、湘南のCF馬場が京都から高い位置でボールを奪うことに成功すると、サンガのゴール前に、瞬時にしてベルマーレのアタッカー5人が現れ迫り、サンガのゴール前を緑のユニフォームで埋め尽くした。そして、走り込んだ永木亮太がクロスを中央へと折り返すと、こぼれたボールに岩上が瞬時に反応し、振り抜いた左足から放たれたボールは京都のゴールへと突き刺さった。あっという間の出来事だった。ベルマーレは、前半のうちに、試合を振り出しに戻したのである。


前半は1−1のまま終わり、そして後半が始まった。後半は一進一退の攻防が続いた。何度か、双方に決定的な場面があったけれど、決めきれないまま、終了のホイッスルが近づいていった。


ロスタイム。91分の出来事だった。自陣内で、CBの大野がボールを奪うと、大野は遙か遠くを目指し駆けだした。CBなのだけれど、自分のポジションを空にして、大野は遙か彼方のゴールを目指した。京都サンガのDF達は慌てて戻り、大野の進路を塞ごうととしたけれど、それはもう手遅れだった。何もかもが遅かった。前半の岩上のゴールの時と同じように、またしても、ベルマーレのアタッカーが、瞬時にしてサンガのゴール前に現れ迫り、この時間帯としては驚異的なカウンターアタックを発動させていた。そして、大野から左サイドを駆け上がっていた菊池へとラストパスが送られた。最後は簡単なプレーではなかったけれども、菊池は左足でボールをネットに突き刺し、そして、これが決勝点となってベルマーレは逆転に成功した。


菊池はゴール後、ベンチ前でもみくちゃにされていた。まるで少年漫画みたいな展開だった。自分の目が信じられなかった。あの京都にベルマーレがロスタイムで逆転勝利したのだ。この日のスタジアムには、サッカーはこうあるべきという要素が揃っていた。どんな逆境にあっても決して戦うことを止めないという決意。あふれ出るような情熱。そして、チームへの忠誠・・・・・・


そして、ベルマーレの快進撃の旅は続く。平均年齢が22歳という大学選抜みたいなチームは、第2節、アウェーで草津を圧倒する。素早い攻守の切り替えを武器に、前半で2点を奪うと、後半はやや息切れし、1点を返されたものの、最後に、またしても岩上がゴールを決めて、草津を突き放した。


第3節では、ベルマーレは、ホームにアビスパ福岡を迎えた。去年のJ1は残念な結果に終わったものの、福岡がJ2では強豪クラブである事に変わりはない。だったのだが、前半42分に、再び、ベルマーレのトランジションサッカーが炸裂する。福岡のDFがバックパスを処理しそこなって、ボールがラインを割った。何の事もない1シーンだった。だが、そうではなかった。ベルマーレの15番、岩上が猛ダッシュをかけて、ボールをもらい、素早くスローインを入れたからだ。福岡のDFは、急いでラインを整え、走り込んできたベルマーレの高山を捕まえようとしたけれど、もう手遅れだった。何もかも遅かった。攻守の切り替えのスピードで勝負するベルマーレのサッカーの手のひらの上だった。福岡のDF、堤俊輔が、高山のクロスをハンドしてしまい、二枚目のイエローで退場となった上に、PKまで献上してしまったからだ。ここで、事実上、試合は決まっていた。後半、10人の福岡にペースを握られるシーンはあったけれど、岩上のミドルと馬場のヘッドで突き放し、ベルマーレは三連勝を飾った。


第4節は、さほど語るものがない。もともと、ベルマーレにとって、相性の良い岐阜相手だったからだ。唯一、心配だったのは中二日だった事くらいだったが、攻守に圧倒し、ベルマーレが勝利を飾った。これで4連勝。開幕前からは考えられない事態だった。



一体、何がベルマーレに起こったのか。何をどうしたら、サンガはこんな事になったのか。岩上はなんで関東大学リーグの二部なんかに埋もれていたのか。そんな事はもうどうでもよかった。そんな事は、もうどうでもいいことだった。


ベルマーレは、死んでなどいなかったのだから。


そうベルマーレは生きていたのだから。


だから



だから





だから











胸スポがついてほしいです・・・TT


すいませんが広告です


今年の、ベルマーレの平均年齢は22歳、将来のあるチームです!!
今なら、この奇跡のチームの胸スポになれますよ!!こんなチャンスは今だけ!!
J1に昇格してからじゃ遅いですよ!!
あと、皆さん、もっとJ2の試合も見てください!!
ベルマーレの試合は見て損はさせませんから!!今年は特にね!



言いたいのはそれだけです。