サッカーのマッチレポートなどを中心に。その他サッカーのうんちく系ブログ。

サッカーのフロントが絶対すべきでないこと PART I

ちなみに例によって例のごとく、part2はありませんので、あしからず。


えー、今日は、ちょっとおもう所があって、お題の通りの話をしようと思う。ちなみに、この話をしようと思ったのは、


はてなは「絶対すべきでないこと」をやらかしたのか?


という記事を読んだのと、J1が開幕したんで、Jリーグの幾つかのチームの試合みた後だからである。インスパイアというか、これを読んでから、色々と昔の事を思い出したり、当時の記録を探したりして、記事かこうとしてグダグダやってた訳だ。書こうと思ったきっかけは、浦和の試合をみたからでもあるんだけどね。



上記の記事内にあるが、『Joel on Software』という有名な本な本があって、その中に、「あなたが絶対すべきでないこと PART I」というのがある。こいつは、プログラマの話なんだけど

私たちはプログラマだ。プログラマというのは、心の中では建築家なのだ。建築家が建築予定地に来て最初にやりたいと思うのは、その場所をブルドーザーでまっさらにして、何かすごいものを建てるということだ。私たちは、修繕して、改良して、花壇を植えて、という改修みたいな作業にはあまり興奮しない。

 プログラマがいつでも既存のコードを捨てて最初からやり直したいと思うには、ちょっとした理由がある。その理由というのには、古いコードがクズだと思っているからだ。そしてここに興味深い観察事実がある。彼らはたぶん間違っている。彼らが古いコードがクズだと思うのは、プログラミングの基本法則のためだ。(204ページ)


って話がある。これを読んでから、似たような話があるな、と思って、ちょいちょい書いてたのだ、この文章。この次の引用部分も、結構、思うところがあるんだけど。

サッカーファンなら一度は絶対やったことがある事

貴方がサッカーファンなら、一度は、こんな事を思ったことがあるだろう。つまり、「うちの監督はクソだ!」と罵るのである。


この現象は、せっかくの休日に、ホームでしょうもない負け試合を見せられた後に、飲み屋などで観察される現象である。日本のサポーターは、比較的穏和なほうだが、ホームで負けたら流石に怒る。ホームで負けた場合、監督と選手は罪人であり、そうでなければ審判が十字架にかけられる。もっとも、それでも穏和だけどね。


で、ホームで負けた試合を見た後は、お決まりの監督の采配批判が始まる。「あの戦術が良くなかった」、「あいつを使っていれば」、「なんで動かないんだ」等々。こいつも恒例行事であり、ホームで負け試合を見せられた後のサポーターの一種の宗教的儀式である。チームの戦術批判、チームの選手起用への批判だ。このブログの管理人なんて、ホームでの負け試合の後は、そんな事ばっかりやっている。



ただ、ちょっと待ってほしい。本当に貴方のチームの監督は「クソ」なのか?というか、そもそも、チームが、監督と戦術と選手を変えて、うまくいったケースって、どのくらいあったっけ?


■Jリーグ■監督在任年数研究 〜私は1年で4人の監督と寝たチーム〜


じつは、picture of playerさんの所で、こんな記事があって、J1における監督の平均在任年数が見れる。結論からいえば、J1における監督の平均在任年数は1.5年程度である


もちろん、長いチームもあれば、短いチームもある。山形、新潟、ガンバ、鹿島などは前者であり、近年、比較的、長期政権でやっている。一方で、東京V、千葉は、平均在任数が一年未満で、何のために監督呼んでるんだかわからないチームである。


J1において、監督は平均1.5年で解任される。さて、ここで問題。ほとんど監督は、1.5年で解任される。これで、そもそも、まともなチームなんて作れるのか?というか、平均1.5年で監督変えてて、まともなチーム作りとか出来るんだろうか?東京Vや千葉を見る限り、監督解任はほぼチームに何の効果ももたらしていない。


というか、そもそも論として、監督をころころ変えてしまうと、チームがやるサッカーもころころ変わるって事である。ここで、最初の「あなたが絶対すべきでないこと PART I」との兼ね合いになる。プログラマーという生き物は、心の中では建築家らしい。そして引用になるが、「建築家が建築予定地に来て最初にやりたいと思うのは、その場所をブルドーザーでまっさらにして、何かすごいものを建てるということだ。私たちは、修繕して、改良して、花壇を植えて、という改修みたいな作業にはあまり興奮しない。」ものらしい。


そして、この話になる。

 プログラマがいつでも既存のコードを捨てて最初からやり直したいと思うには、ちょっとした理由がある。その理由というのには、古いコードがクズだと思っているからだ。そしてここに興味深い観察事実がある。彼らはたぶん間違っている。彼らが古いコードがクズだと思うのは、プログラミングの基本法則のためだ。


ここである。これ、実は、サッカーにも似たような話があるのだ。つまり、新しい監督がチームにやってくると、前任者のスタイルを受け継がない人が多いのである。


サッカーのフロントと監督は、前監督のスタイルを捨てて、最初からやり直したがる癖がある。前監督のスタイルでは結果がでなかったのだから、新しいスタイルを模索せねばならないと思うのかもしれない。だが、ここに興味深い観察事実がある。彼らはたぶん間違っている

ジェフはなぜ低迷するのか


さて、ここで、最近、J2でずっとくすぶっているジェフの話に移ろう。ジェフの監督で、一番、成功し、そして今でも伝説になっているのはイビチャ・オシムである。彼は、サッカー監督の中で、異質な例外といえる。それはなぜか?


理由はオシムが前任者のスタイルでなく、自分のスタイルでジェフのサッカーを再定義した上で成功したからである。もっとも、彼は、「日本人にあったサッカー」って話をしょっちゅうしていたけれど。しかし、オシムがやったようにクラブチームのサッカーのスタイルを、相当変化させた上で、一年目から結果をだすというのは、ギャグみたいな離れ技である。


現実問題として、他の監督は、これをやろうとして、ほぼ例外なく失敗し、解任されている。新監督がクラブチームに新戦術を持ち込んだ場合、高い確率で、チームの順位は落ちるか、現状維持のままなんである。そして、J1では、監督は平均1.5年で解任されるのだ。はっきりいって、J1における監督の平均在任期間をみる限り、監督は新戦術を持ち込むべきではない。その時間がない。今あるものを有効利用して戦い、一年目で結果を出さないと二年目で解任だ。


ジェフの監督とチームとして戦術の変遷は、結構、香ばしいものがあって、オシムの後は、基本路線継続って事で、息子のアマルが後を継いだんだけど、見事に失速。それまでの勢いが完全になくなり、アマルは2007年に解任され東欧路線はここで終演する。2008年から、クゼやミラーといった監督を招聘して、リバポばりの堅守速攻路線になるのかと思ったら、2009年にミラーが解任。後任は江尻篤彦監督。で、やってるサッカーがまた変わった。江尻さんのサッカーについては置いておくとして、問題は、2011年にドワイト・ローデヴェーヘスを連れてきた事である。フロントは、今度はオランダサッカー路線に転換したのだ。そして、当然というか、いつも通りというか、ドワイトも一年で解任された。そして、今年からは、木山隆之さんが監督やることになった。もちろん、やってるサッカーはまた変わるんだろう。


ジェフのフロントは、一度、オシムという禁断の実を食べてしまった。そして、その時の成功体験が忘れられないようだ。つまり、オシムのようなスーパーな監督がいれば、問題がすべて解決すると思っているようなのだ。これは、高い塔の上にさらわれたプリンセスが、自分を救い出してくれる白馬の騎士を待っているようなものである。あるいは、狼人間をうつ銀の銃弾を探しているのようなものか。


ジェフのフロントはここ数年、毎年のように監督と戦術を替えている。もちろん、チームによっては、そのような選択が正しいこともあるのだが、それは極稀なケースといえる。現実的には、白馬の騎士は来ないし、狼人間をうつ銀の銃弾もない。


サッカーのチームの刷新ってのは、大概の場合、作り直しているうちに、似たようなコースをたどる。バラ色の未来はやってこず、時間とコストだけかかって、元と同じ程度かそれ以下の実力のチームができあがる。それも一年かかってである。これは、一年をドブに捨てたようなものだ。競合チームに一年のアドバンテージを与えているようなものなのである。プログラマが、古いコードを捨てて、新しいコードを書き始めた結果、起こる事と同じようなケースである。


ジェフのフロントは、毎年のように、懲りずにこれを続けている。慰めになるかはわからないが、これは、他の多くのチームが嵌る罠だって事である。手倉森政権前のベガルタ仙台(監督と戦術を毎年のように変えてJ2の4〜5位を彷徨い、けさいの渾名を奉られる結果となった)とか、クルピ政権の前のセレッソとか、Jリーグでも似たような例はたくさんあるし、去年の例でいえば、やってるサッカーを全面的に変えて迷走した川崎と浦和は、もろにこれに当てはまる。海外でいえば、インテルとチェルシーはずっとそんな状態だ。新監督がやってきて新戦術と新しい選手がやってくる。一年かけてチームを作り替えるが、できあがるのは昨年と同じか、それ以下のチーム。そして監督は無能の烙印を押されて解任される。モウリーニョ以降、あの2チームはずっとそんな感じだ。


もちろん、チームを変えないとまずい時もある。たとえば、世代交代の時期だ。最近の例でいえば、ガンバや鹿島は、主力の高齢化が著しく、チームを変えざるを得ない。じゃないとジリ貧だからだ。


ただし、ここにもどうしようもない観察事実がある。「世代交代」「新監督」「新戦術」を揃えて迷走したチームがある。つまり、西野朗を解任した後の柏レイソルである。西野政権の終焉後の柏の迷走ぶりは凄まじく、2006年にはJ2降格という事態に追い込まれている。


ガンバと鹿島は、日本を代表する強豪の為、僕はJ2降格するとは思っていない。(もっとも、一昨年のFC東京や去年の浦和みたいなケースもあるんで断言はできないけれど)ただ、今年のJ1開幕戦をみて、かなり不安になる出来なのは間違いなかった。


サッカーのフロントが絶対すべきでないこと PART I

サッカーのフロントが絶対すべきでないことってのは、ここでは単純である。つまり、「チームを最初から作り直すことに決める」事だ。


新しいものが常に良いものだとは限らない。そして、新しいものが古いものに勝るとも限らない。


貴方のチームが去年までやっていたサッカーは、すでに連携面で確認が取れている。選手は、いつ、どこでどう動けばいいかわかってきている。多くの問題がすでにみつかっているだろうが、それは修正すればいいだけの話だ。だが、新監督のサッカーはそうではない。連携が取れておらず、問題がまだ見つかってもいないので、修正すら出来ない。だから、シーズンを戦いながら、連携を取り、修正を行わないといけない。これは、そのまま、競合チームにアドバンテージを与えるようなものなのだ。ほぼ、1〜2年分に相当するアドバンテージを相手チームに与える事になる。。そして、これを忘れないでほしいのだが、Jリーグには降格というシステムが存在するのである



ペトロビッチの広島、クルピのセレッソ、そして、今年のセリエAの、ローマなど、フロントに忍耐と理解があったおかげで、やってるサッカーを変えながら、リーグでも結構成功したケースは、あるにはある。ただ、これには時間がかかるって事である。だいたい、やってるサッカーを全面的に変える場合、2〜3年必要になる。そして、繰り返すようだが、サッカーにはやたらと短気なサポーターと降格という制度が存在するのだ。ペトロビッチの広島とクルピのセレッソは、フロントが継続性を重視したおかげで、J2であのチームを作る時間を得た。ASローマのフロントは、「残り試合を全敗しても監督を変えるつもりはない」というコメントを出して、新監督のエンリケを支えている。サポーターも、それに反対しなかった。サポとフロントが覚悟を決めれば、変化を起こせるだろう。だが、何度もいうようだが、それは時間がかかるし、その間に、競合チームにアドバンテージを与えてしまう事も覚悟せねばならない。サポはしばらく勝利はお預けだ。


浦和はどうだろうか。浦和のフロントとサポは、ペトロビッチ監督にそのための時間を与えるだろうか?それとも、また、同じ事を繰り返すんだろうか。一年やらせて、そして、クビ。その後、また別の監督を連れてきて一年やらせてクビ。毎年のようにやるサッカーが変わるから、チームとして上積みが出来ない。


これはジェフパターンというか、悲しい話だが、しかし、サッカーの世界ではよくある話なのである。浦和サポにとって、慰めになるかどうかはわからないが、チェルシー、インテル、ジェフ、その他多くのクラブが嵌った底なし沼なんである。


いつかは、この不毛なサイクルが終わる日が来るんだろう。だが、それは今年では無い。そう感じた開幕戦だったとさ。おしまい。